MIKE THE MILLARD

伝説のコンサート・テーパー、Mike Millard

1970年代、まだ小型マイクやDATが存在しなかった時代に、コンサート会場にプロ仕様の機材を秘密裏に持ち込み、現代のハイエンド機材でも難しいほどの高音質な録音を残した伝説のテーパーがいます。その名は、Mike Millard。

海賊盤でライブ録音を楽しんだことがある人なら、彼の名前を一度は耳にしたことがあるでしょう。彼は生涯で数百のコンサートを録音したとされていますが、ブートレッグやトレーディングサイトに出回っているのは100件にも満たないのが現実です。しかし、その限られた録音のほとんどが非常に高い音質を誇り、彼の名はテーパーという特殊な集団のみならず、一般の音楽ファンの間でも広く知られています。Mike Millardは1992年に自らの手でこの世を去りました。これは、SonyのDATが登場し、それなりのマイクさえあれば誰でもコンサート録音が可能になり始めた時期であり、現在のDEADHEADをはじめとする西海岸のテーピングコミュニティが形成される直前のことでした。彼の偉大な録音と突然すぎる非業の最期は、今日においても彼を伝説のコンサートテーパーとして語り継がれる理由となっています。


MIKEの録音の凄いところは、まるで目の前で演奏しているかのような音圧、空間を感じるステレオ感、そしてアナログ録音としては考えられないほど広いダイナミックレンジにあります。さらに、テープチェンジにより曲の冒頭や一部が欠けることはあっても、基本的にショーを始めから終わりまで録音している点も特筆すべきです。


Mikeの録音機材については、長い間、正確な情報がありませんでした。しかし、近年になって、紛失または廃棄されたと信じられていたマスターテープが見つかり、その謎が解明されました。ロックバンドのThe NationalがMikeと同じ機器でコンサートを録音し、カセットテープで販売するプロジェクトを進める中で、最も謎であったMike the Mikeのマイクロフォンや録音機材が明らかになったのです。これは、マスターテープに付けられたMikeの録音メモに、彼の使用していたマイクロフォンと録音機の詳細が記されていたためです。


Recorded on a Nakamichi 550 cassette recorder with a pair of AKG-451E-CK-1 Heads, Microphones


Mikeは、AKGのマイクロフォン451EにCK-1カプセルを装着し、録音機としてNakamichi 550 Cassette Recorderを使用していたようです。しかし、このことが判明したことにより、逆に謎が深まった部分もあります。


まず、マイクロフォンのAKG 451Eは巨大なフルボディマイクです。AKGをアクティブ化(キャップとボディ部分を切り離して使用)するのは、現在でも電子工学の知識・技術がないと難しいため、彼はおそらくフルボディのまま使用していたと考えられます。1970年代にどうやって、この大きなマイクを会場で使用したのか?彼が車いすを用いて機材を持ち込んだ話は有名ですが、セッティングに関する話は皆無です。

さらに、このマイクはフルボディで立てるとFM放送を受信してしまうことでも有名ですが、彼の録音でFM放送を受信してしまったものは聞いたことがありません。AKG 451Eは問題の多い機材です。後継機種となる460を使用したことがありますが、本当に使い回しに苦労しました。ACTIVE化できないマイクはとにかく大きくて重いのです。

さらに指向性のあるCK-1カプセルは、2本のマイクの間隔や上下左右の向きなど、正確に設定するのが非常に難しく、難易度の高いマイクです。確かにうまく設定できれば素晴らしい音で録音できますが、ショットガンマイク並みに細かな設定が必要です。非アクティブ化のフルボディを混雑する会場内で正確に設定するには、天性の勘や経験以上の秘訣があるはずです。そうでなければ、毎回あのような録音はできないでしょう。Mikeはどうやったのか?


Mikeをよく知る人は、Mikeが何度も同じ会場に通い、会場内の音の反響や音周りを調べて、最も録音に適した席を探し出し、できるだけ同じ場所で録音するようにしていたと証言しています。確かに、2本のマイクを使用しているのに音像がブレないのは、スタンドや安定した座席から録音していることが想像できます。しかし、ここまで安定して録音できるのだろうかと思うほど、その音は終始一貫して安定しています。まるで、マイクスタンドにマイクロフォンを立てて録音しているかのようです。

Mikeが行っていたこの準備と工夫は、単に会場に機材を持ち込むだけでなく、音響環境の理解とその場での即応力を駆使した結果でしょう。彼の録音の成功は、技術的な知識と実地の経験が見事に融合した成果だと言えます。会場の音響特性を徹底的に調査し、最適な録音ポイントを見つけることで、あのような高品質な録音を実現していたのです。


録音機のNakamichi 550は、名機と呼ばれる素晴らしいテープレコーダーのようです。しかし、やはり、現代のデジタル機器と比較するとSN比が悪く、レンジもかなり狭い。大きな音から小さな音まで幅広く録音しなくてならないコンサート録音では、このダイナミックレンジでは狭すぎます。前述のThe NationalがNakamichi 550でコンサートを録音するとき、エンジニアが常時レベルメーターをチェックしていました。

現代のPAシステムはデジタル化され、各会場の出音のボリュームを安定させることが可能です。このため、同じ会場ではメタルでもポップスでもほぼ同じ音量をスピーカーから出力できます。しかし、1970年代は同じ会場でも公演ごとに極端に音量が変わることがありました。サウンドエンジニアが当日のスピーカーのノイズ量やミュージシャンからのリクエストを考慮し、独自の判断で音量を決定していたからです。

このため、開演前に出音を予想して録音機を適切なレベルに設定することは不可能でした。Mikeも録音中にレベルメーターをチェックし、適切な録音レベルに設定していたと考えられます。さらに、カセットテープの録音時間には限界があります。現代では100時間以上の連続録音ができるポータブルなデジタル録音機がありますが、Mikeはテープレコーダーを使用していました。そのため、常にテープを入れ替えるタイミングを計る必要がありました。

Mikeは時計を見ながらタイミングを計り、バックの中でテープを裏返していたのです。レベル設定に加え、テープ交換も必要でした。これを混雑する会場の暗闇の中で毎回行っていたのです。彼の録音がこれほど高品質だったのは、単なる機材の操作技術に留まらず、計画的な準備とその場での迅速な対応があったからです。

Mikeが何度も同じ会場に通い、最も録音に適した席を見つけ出し、同じ場所で録音することを徹底していたのも、こうした背景があるからこそでしょう。彼の録音技術と努力は、現在でも伝説として語り継がれています。


そして、ここで一番の謎は、フルボディマイクを稼働させるためのマイク電源についてです。録音機のNakamichi 550にプラグインパワーがあったとしても、46Vを必要とするフルボディマイクを稼働させるのは難しいでしょう。電池が持たないからです。

Mikeがどのようにこの問題を解決していたのかは不明ですが、いくつかの可能性があります。一つの可能性は、Mikeが外部電源を使用していたということです。1970年代にも外部バッテリーパックや電源供給装置が存在していたので、それらを使用してマイクに必要な電圧を供給していたかもしれません。これなら、長時間の録音でも電源切れの心配が少なくなります。

もう一つの可能性は、彼が特別に改造された機材を使用していたことです。Mikeは録音機材に関する深い知識と技術を持っていたため、自らの手で必要な改造を施した可能性もあります。例えば、フルボディマイクを外部バッテリーに接続できるように改造するなどの工夫が考えられます。

さらに、彼が使用していたマイクや録音機材の詳細なセットアップについては未だに全貌が明らかになっていません。近年発見されたマスターテープや録音メモによりいくつかの謎は解明されましたが、Mikeがどのように電源問題を克服していたのかについては依然として不明です。

この謎が解明されることにより、彼の録音技術に対する理解がさらに深まることでしょう。いずれにしても、Mikeの録音は単なる技術の結集だけでなく、彼の工夫と創意工夫の産物であり、それが彼を伝説のテーパーたらしめているのです。

The Nationalが制作したビデオには、Mikeの録音パートナー(車いすを押す役目)のJim Reinsteinが登場します。しかし、実際にはもう一人サポートする人物がいたのではないでしょうか。「いつも会場の同じ位置の席のチケットを数枚購入していた」「いつもサポートする友達たちとコンサートに参加していた」という証言から、最低2人のサポートする人物がいて、そのうち一人が電源担当だったのではないかと思います。

この電源担当の人物がマイクロフォンのポータブル電源を持ち運ぶ役割を担っていたとすれば、彼は会場内でMikeと一緒に行動していたはずです。このようなサポート体制により、Mikeは録音中に必要な機材の調整やテープ交換をスムーズに行うことができたでしょう。

つまり、Mikeの成功は彼一人の努力だけでなく、複数のサポートメンバーとの連携プレーによって成り立っていた可能性があります。これにより、彼は会場の音響条件や機材の設定に集中することができ、高品質な録音を実現したのです。このようなチームワークが、彼の伝説を支えた一因であると考えられます。


Mikeの機材が判明したことはうれしいニュースでしたが、彼の人柄についても新しい情報がわかりました。

Mikeが自らの命を絶ったことから、彼は奇人や変人であったという逸話が聞かれます。しかし、彼をよく知る友人は、彼が非常に気さくで温かみのある人物であったことに言及し、Mikeが生きていれば、彼の偉業が今日まで生き続けることができたネットを介したコンサート録音のオープンな交換を歓迎するだろうとも証言しています。彼の録音活動の目的は、一人の音楽ファンとして大好きなアーティストの音楽を残しておきたいと思ったからではないでしょうか。そして、実際、彼の死後もLed ZeppelinやRolling Stonesなど、バンドのもっとも脂の乗り切った時代の演奏録音が残されています。

下の録音は、Led Zeppelinの1977年のLA.FORUMでのコンサート録音です。2本のマイクでステレオ感があるだけでなく、バンドの音がクッキリと浮かび上がるように音像をとらえています。この録音にどれだけの労力を要したかは、経験がない人には理解できないかもしれません。AKGは本当に難しいマイクです。Mikeは、Mic Configurationについても豊富なコンサート録音の経験に裏打ちされた技術や知識を持った素晴らしいテーパーだったと思います。「Mikeが今も生きていたら、どのような録音活動をしていたか?」テーパー以外の一般のファンにもそう思わせるテーパーなんて、Mike Millard以外はいません。



オマケにAKG460とCk1のキャップによる録音も紹介します。プリアンプはALL In One BoxとなるFostex FR-2LE。ただし、Oado Brothersが中高域を明瞭に録音できるようにチップを改造していますので、パンチのある音になっています。

Mikeにも聞いてもらいたいです。

BLOGS